「代価論」略読之五「伝統と反伝統」
この記事は「代価論」略読のシリーズ第5回です。本当は1つの記事にまとめたかったのですが、著者の言葉が非常に精緻で、あまり多くを省略すると本質を損なう恐れがあり、逆に省略が少なすぎると長すぎてしまうため、複数の記事に分けることにしました。「代価論」の著者は鄭也夫先生で、本書の初版は1997年に発行され、実に出会うのが遅かったと思います。豆瓣読書リンク
人間と動物の違いの一つは、動物の行動パターンが遺伝子によって制御されていることであり、すべてがあらかじめコーディングされています。遺伝子は世代を超えて次の世代に受け継がれます。一方で、人間の行動パターンは遺伝子による制御に加えて、文化による制御も受けています。人間の文化を動物の遺伝子に例えるなら、遺伝子が不変であれば環境に適応できず、「進化」できないのと同様に、文化もまたそうです。
伝統について語る前に、「伝統主義」について触れておく必要があります。伝統主義は伝統とは異なり、シャーヴィニズムの一種であり、古代の人々が言ったことは必ず正しい、古代の人々のやり方は必ず良い、古代の人々の生活は必ず幸福であり、古代の人々の医術は必ず優れていると信じることです。伝統主義を持つ人々は、進化を拒否する動物のようです。
伝統は各民族の根であり、認識感、行動パターン、秩序をもたらします。伝統の形成は容易ではなく、壊すことも容易ではありませんが、一度壊れてしまうと、再び復元するのは容易ではありません。文化大革命で壊されたのは、橋のたもとの石の獅子だけでなく、私たちの優雅さや君子の道も壊されました。儒教が宗教であるなら、それは知識の教えであり、教育の教えでもあります。現在、中国人にとって、これらのものは古い書物にしか残っておらず、古い書物の内容は中国人と外国人にとって同じ距離感を持っています。これが反伝統が私たちにもたらした損失です。
伝統を継承するだけでなく、改善することが必要です。さもなければ、それは伝統主義になります。反伝統は好ましくなく、伝統主義もまた好ましくありません。私は中学校の政治の教科書に載っていた「精華を取り、糟粕を捨てよ」という言葉を思い出します。これは教科書が外来文化に対する「標準的な答え」として示したものです。実際、自分の文化に対しても同じように接するべきです。